et king 死に すぎという言葉が検索窓のサジェストに無遠慮に現れるたび、胸を締めつけられるような思いを抱くリスナーは少なくないだろう。大阪・阿倍野のストリートから叩き上げ、泥臭いまでの人間味と熱量で全国を巻き込んだヒップホップグループ、ET-KING。お揃いの法被を身にまとい、生きる歓びや恋心、仲間との絆を愚直に叫び続けた彼らの足跡に、いつしか「相次ぐ死」「呪われたグループ」といった痛ましい陰影が付きまとうようになった。ネットの無機質なアルゴリズムは、時として人の感情を置き去りにし、悲劇の輪郭だけを無造作に肥大化させる。
ふとした拍子にウェブ上でet king 死に すぎという乱暴な言説を目にすると、まるでメンバーの多くがこの世を去ってしまったかのような錯覚に陥るかもしれない。だが、断片的なゴシップを剥ぎ取り、彼らの軌跡を冷静に見つめ直せば、浮かび上がるのは不吉な噂などではない。かけがえのない仲間を喪失した痛恨の極みと、それでもマイクを握り続けてステージに立つ男たちの、生々しくも気高い闘争の歴史だ。あの熱狂の裏で一体何が起きていたのか。残された者たちは今、どんな景色を見つめているのだろうか。
なぜ「死にすぎ」と囁かれるのか?ネットの残酷な噂と悲劇の現実
ネット空間で飛び交う過激なワードの正体を突き詰めると、実像と虚像の激しい乖離に突き当たる。結論から言えば、ET-KINGで亡くなったメンバーは2人だ。2014年のTENN、そして2018年のリーダー・いときん。7人編成で黄金期を築いたクルーのうち、旅立ったのは2人である。「死にすぎ」という表現がいかに誇張され、煽情的に膨らまされたものかがよくわかる。
にもかかわらず、なぜ世間にはそれ以上の犠牲者が出たかのような印象が刷り込まれてしまったのか。要因は複数ある。第一に、2人の死がいずれも日本中に衝撃を与えるほど強烈で、ドラマチックかつ悲痛だったこと。第二に、その後のメンバーの活動休止や脱退、事務所移籍といった環境変化が、ネット上で「また誰かがいなくなった」という誤認の連鎖を生んだことだ。
検索エンジンの自動補完機能は、人々の悲哀や不穏な好奇心を容赦なく吸い上げる。事実の確認を怠ったまとめサイトが閲覧数を稼ぐためにセンセーショナルな見出しを乱発し、いつしか「ET-KING=悲劇が重なりすぎたグループ」という固定観念が独り歩きを始めた。しかし、数字の多寡ではない。彼らにとってそれは、グループの背骨を一度にへし折られるに等しい、あまりに重い2つの喪失だった。
2014年秋の激震——TENNが遺した空白と残された者たちの葛藤
時計の針を巻き戻す。グループのMCとして、タイトなラップと親しみやすい人柄で愛されたTENN。彼が2014年9月、35歳という若さで突如自ら命を絶ったニュースは、列島を凍りつかせた。絶頂期を駆け抜け、音楽性の深化を模索していた最中の悲劇だった。
盟友の急逝。残された6人が受けた衝撃は、部外者の想像を絶する。マイクを握る意味を失い、ステージに立つことすら罪悪感を覚える日々。グループは一時、活動停止の淵に立たされた。「あいつのいないET-KINGを、果たしてET-KINGと呼べるのか」。自問自答の夜が果てしなく続いた。
だが、彼らは解散を選ばなかった。TENNの遺志を胸に刻み、活動を再開。悲しみを押し殺して前を向く姿は、多くのファンの涙を誘った。痛みを抱えながらも、彼らの紡ぐメッセージはより深みを増し、単なる応援歌を超越した「生の祈り」へと昇華していった。
リーダーいときんの旅立ち 最後までマイクを握り続けた不屈の闘病
傷口がようやく塞がりかけた矢先、運命はさらなる試練を突きつける。グループの大黒柱であり、力強い歌声で全体を牽引していたリーダー・いときんを病魔が襲った。2017年、進行性の肺腺がんが発覚。ステージ4、脳やリンパへの転移も確認されるという絶望的な宣告だった。
それでも、この男は歌うことをやめなかった。過酷な抗がん剤治療に耐えながら、スタジオに入り、マイクの前に立った。2017年末のZepp Nambaでのライブ。痩せ細った体でステージに現れたいときんは、渾身の力を振り絞り、魂を削るようなシャウトを響かせた。客席の誰もが、命の燃焼を目の当たりにして震えた。
2018年2月1日、いときん永眠。享年38。TENNの死からわずか3年半後のことだった。精神的支柱とグルーヴの核を相次いで失ったET-KING。この連続したあまりにも過酷な別れこそが、人々の脳裏に「あまりにも立て続けに逝きすぎている」という消えない痛恨の記憶を刻みつけることとなった。
『愛しい人へ』『ギフト』の残響 J-POP史に刻まれた名曲が語りかけるもの
彼らがメジャーシーンに残した足跡を語る上で欠かせないのが、ユニバーサルミュージック合同会社から世に放たれた数々のアンセムだ。2000年代後半、ジャパニーズ・ヒップホップのエッセンスを歌謡曲的な情緒と融合させ、独自のスタイルを確立したET-KINGの楽曲は、日本の音楽シーンのど真ん中を射抜いた。
『愛しい人へ』で見せた不器用な男の純情。ウェディングソングの金字塔となった『ギフト』の包み込むような温もり。これらのヒット曲は、洗練されたR&B全盛のJ-POPにおいて異彩を放っていた。決してスマートではない。だが、だからこそ嘘がない。
いときんの野太く温かいメロディラインと、TENNやKLUTCHらが繰り出すストレートな言葉たち。音楽業界がデジタル配信への過渡期を迎えるなか、彼らの泥臭いラブソングは着うたチャートを席巻し、街中の至る所で鳴り響いていた。あの時代に刻まれた言葉の強度は、歳月を経ても微塵も色あせていない。
デジタル時代の風評と記憶の継承——SpotifyやYouTubeが証明するリアル
インターネット上の軽薄な噂とは裏腹に、現在もET-KINGの音楽は人々の生活に息づいている。定額制音楽配信サービスの普及によって、彼らの楽曲は世代を超えて再評価の波に乗った。
Spotifyの再生回数は伸び続け、YouTubeに遺された過去の公式ミュージックビデオには、今なお毎日のように新たなコメントが書き込まれている。「学生時代に聴いていた曲が、親になった今、心に染みる」「辛いときにこの歌声を聴いて踏みとどまれた」。そこにあるのは、ゴシップへの興味などではない。彼らが遺した音楽への純粋な感謝と敬意だ。
アルゴリズムは時として残酷な検索候補を上位に押し出す。だが、再生ボタンを押せば、スピーカーから溢れ出すのは2人の確かな息遣いであり、仲間たちの熱いハーモニーだ。デジタル空間の数字や再生ログは、ET-KINGが決して過去の感傷に埋もれた存在ではなく、現役の「生きる力」として消費されている動かぬ証拠となっている。
悲哀を越えて鳴り響く音 KLUTCHらが紡ぐET-KINGの現在地
幾度もの壊滅的な打撃を受けながら、残されたメンバーたちは歩みを止めていない。現在、マイクを握り続けるKLUTCHを中心に、彼らは各地のフェスやライブハウス、地元・関西のイベントに立ち続けている。衣装の法被には、今もいときんとTENNの魂を象徴する証が刻まれている。
ステージ上の彼らは、決して湿っぽい感傷に浸らない。むしろ、誰よりも笑い、叫び、観客を巻き込んで巨大な祝祭空間を作り出す。「あいつらが一番嫌がるのは、俺らが下を向いて立ち止まることやから」。KLUTCHが語る言葉には、極限の喪失を乗り越えた者だけが宿す、凄まじい覚悟が滲む。
無責任なネットの囁きをかき消すのは、いつだって彼らが放つ生身のグルーヴだ。いときんが遺した魂のバイブスと、TENNが愛したストリートの風。すべてを背負い込み、泥にまみれながら歌い続けるET-KING。彼らは今もなお、人生の歓びと哀しみを一身に引き受け、泥臭く、美しく、大阪の空の下でマイクを握りしめている。 (出典: et king 死に すぎ(Yahoo!ニュース))