野坂 昭 如 死因の真相を探ると、希代の表現者が昭和から平成を駆け抜けた末に迎えた、静かで凄絶な幕引きが見えてくる。1945年の神戸大空襲で妹を餓死させた痛恨の悔恨から生まれた不朽の名作『火垂るの墓』。戦後日本の矛盾と欺瞞を舌鋒鋭く告発し続けた作家・野坂昭如氏は、2015年12月9日の夜、85歳でこの世を去った。突如自宅で意識を失い、病院へと緊急搬送されたものの帰らぬ人となった巨匠の最期は、かつて世間を騒がせた破天荒な「無頼派」の看板からは想像もつかないほど、静寂と家族の情愛に満ちていた。
当時、公に発表された野坂 昭 如 死因の直接的な原因は「心不全」であったが、その背景には12年余りにおよぶ過酷な脳梗塞との闘病生活があった。言葉を奪われ、ペンを握る右手の自由を失ってもなお、彼は原稿用紙に向かい続けた。なぜ彼は死の直前まで反戦の筆を折らなかったのか。晩年の壮絶な日々を振り返る。
公式発表された直接の死因と最期の夜——自宅で倒れた作家の異変
2015年12月9日午後9時過ぎ、東京・港区の自宅で異変は起きた。夕食を終え、寝室で横になっていた野坂氏の呼吸が不自然に浅くなっていることに、妻の昭子(筆名・野坂暘子)さんが気づいた。呼びかけても反応がない。すでに自発呼吸が微弱になっていたため、直ちに119番通報が行われ、都内の病院へ救急搬送された。
しかし、救急隊や医師による懸命な蘇生措置も実を結ばず、同日午後10時33分に死亡が確認された。死亡診断書に記された直接の死因は「心不全」。老衰に近い、穏やかな表情での旅立ちだったという。前日まで普段通りに過ごし、介護ヘルパーと笑顔を交わしていただけに、その急変はあまりにも唐突だった。激動の時代を誰よりも騒々しく駆け抜けた男の最期は、拍子抜けするほど静謐な冬の夜の出来事だった。
脳梗塞からの長い闘病生活とリハビリ——家族が語った知られざる逝去直前の様子
心不全によって突然の別れが訪れたとはいえ、野坂氏の体は限界に達していた。時計の針を巻き戻すと、過酷な日々の始まりは2003年4月に遡る。自宅で脳梗塞を発症して倒れ、緊急入院。一命は取り留めたものの、作家の命とも言える言語機能に重い障害(失語症)が残り、右半身の麻痺を余儀なくされた。
喋ろうとしても言葉が出てこない。原稿用紙を前にしても、右手が言うことを聞かない。酒をあおり、怒声を張り上げ、テレビカメラの前で乱闘すら辞さなかったエネルギーの塊のような野坂氏にとって、自己表現を物理的に奪われる苦痛は想像を絶するものだった。リハビリ当初は絶望から鬱屈した感情を露わにすることも少なくなかったという。
その暗闇を支えたのが、妻の昭子さんと娘たちだった。昭子さんは献身的な介護を続けながら、野坂氏のわずかな視線や手の動き、かすかな発声を汲み取る「通訳」となった。左手でペンを握り直すリハビリを重ね、殴り書きのような文字でノートに思考を刻みつける。逝去の直前まで、彼は車椅子に座り、新聞の政治面を厳しい眼差しで見つめ、家族に向かって時折何かを訴えようとしていた。最期の瞬間まで、彼の脳内では「言葉」との熾烈な格闘が続いていたのである。
『火垂るの墓』と高畑勲監督——スタジオジブリが世界へ刻んだ魂
野坂昭如という名前を語る上で、名作『火垂るの墓』の存在を外すことはできない。1988年、高畑勲監督の手によってアニメーション映画化され、スタジオジブリの名を歴史に刻んだ本作は、清太と節子という幼い兄妹が戦火の中で命を落としていく悲劇を冷徹かつ叙情的に描き出した。
原作者である野坂氏にとって、この作品は単なる創作物ではなく、自身の実体験に基づいた生涯の「贖罪」だった。戦時中、福井や神戸で被災し、自身の幼い養妹を栄養失調で亡くした記憶。妹に食べ物を分け与えず、自分が生き延びてしまったという消えない罪悪感。そのトラウマを吐き出すようにして書き上げた私小説が、アニメーション産業の頂点に立つ高畑監督とスタジオジブリの職人たちの手によって、不朽の映像作品へと昇華された。
生前、野坂氏は完成したアニメ映画を観て「清太ほど自分は妹に優しくなかった」と漏らしている。己の醜さや弱さを直視し、物語として昇華させることでしか生きられなかった作家の業が、巨匠・高畑勲との奇跡的な邂逅によって世界中の人々の胸を打つ傑作となった。
『アメリカひじき』と直木三十五賞——文藝春秋を震撼させた文壇の異端児
野坂氏が文壇でその地位を決定づけたのは、1967年下半期の第58回直木三十五賞の受賞だった。文藝春秋の誌面を飾った受賞作は『アメリカひじき』と『火垂るの墓』の2作同時ノミネートという快挙だった。
敗戦後、進駐軍から配給された得体の知れない黒い海藻のような乾燥食品——のちに紅茶の茶葉と判明するそれを「ひじき」と思い込んで食べた苦い記憶を描いた『アメリカひじき』。そこには、アメリカに対する憧憬と卑屈さ、拭い去れない屈辱感が渦巻いていた。独特の講談調を交えた、句読点を極限まで減らした奔流のような文体は、当時の日本文学界に強烈なカウンターパンチを浴びせた。
作詞家、タレント、歌手、そして政治家としても活動し、「無頼派」「マルチタレント」の先駆者としてメディアを縦横無尽に泳ぎ回った野坂氏。だがその表現の根底には、常に骨太で純度の高い戦争文学の精神が脈打っていた。直木三十五賞の栄誉は、彼が単なるスキャンダラスな寵児ではなく、日本文学の正統な破壊者にして後継者であることを証明した瞬間だった。
Netflix世界配信と再評価の波——2020年代に響く反戦のメッセージ
没後もなお、野坂昭如の遺したテクストと映像作品は色あせるどころか、年々その切実さを増している。近年、Netflixをはじめとするグローバル動画配信プラットフォームによって『火垂るの墓』が世界規模で高画質配信されたことで、Z世代や海外の新たな視聴者層に凄まじい衝撃を与えている。
混迷を極める国際情勢、各地で勃発する武力衝突、そして繰り返される民間人の犠牲。SNS上では、清太と節子の運命を現代の戦禍と重ね合わせ、涙とともに反戦を訴える投稿が世界中から寄せられている。野坂氏が描いた「飢え」と「孤独」は、時代や国境を越え、普遍的な痛覚として再評価されているのだ。
文学の枠組みを飛び越え、世界的なデジタルインフラを通じて再発見される野坂文学。彼が身を削って書き残した言葉は、平和を享受し慣れた現代社会の脆さを鋭く撃ち抜いている。
無頼派作家が最後に遺した言葉と、現代に投げかける警鐘
倒れる直前まで、野坂氏が最も危機感を抱いていたのは、日本が再び「戦前」のような空気へと傾斜していくことだった。自らの体験から「戦争とは、日常がじわじわと理不尽に侵食されていくことだ」と語り、憲法改正の議論や防衛力強化の動きに対して、晩年まで痛烈な異議を申し立て続けた。
右手の自由を奪われてもなお、左手で執筆を試み、雑誌『週刊金曜日』などに断続的にメッセージを寄せ続けた。彼が最期まで発信しようとしたのは、飢餓の恐怖、国家という怪物の無責任さ、そして名もなき弱者が切り捨てられていく不条理だった。
心不全という死因によって肉体はこの世を去ったが、野坂昭如が遺した文学と警鐘は、いまも生々しい警告として鳴り響いている。彼が命を賭して紡いだ遺産を前に、私たちはただ過去を悼むだけでなく、今この時代をどう生きるかを問われ続けている。 (出典: 野坂 昭 如 死因(Yahoo!ニュース))